あれは季節外れの強い寒波が列島を襲っていた、二月の金曜日の夜のことでした。仕事で遅くなり、深夜の冷たい空気に肩をすくめながらマンションの自室の前に辿り着いた私は、いつものようにカバンから鍵を取り出そうとして、全身の血の気が引くのを感じました。あるはずの場所に、鍵がないのです。普段ならカバンの内ポケットに定位置があるはずの鍵が、何度手を突っ込んでも指先に触れるのは冷たい裏地の布ばかりでした。パニックになり、街灯の下でカバンの中身をすべて地面に広げましたが、そこには財布とスマートフォン、そして読みかけの本があるだけで、私を家の中へと導いてくれる小さな金属片はどこにも見当たりませんでした。時刻は既に午前二時を過ぎており、マンションの管理会社は営業時間外です。実家は新幹線を使わなければ帰れないほど遠く、友人を頼るにもこの時間ではあまりに非常識です。私は震える手でスマートフォンを操作し、寒空の下で途方に暮れながら、自分を責め続けました。なぜあの時確認しなかったのか、どこで落としたのか。思考は堂々巡りをし、冷え切った廊下で立ち尽くすうちに、足の感覚は麻痺していきました。そんな私を救ってくれたのは、二十四時間対応を掲げる一軒の鍵屋さんの電話でした。深夜にもかかわらず、電話口の男性の声は落ち着いていて、今の状況を親身に聞いてくれました。三十分ほどで到着すると告げられたとき、どれほど安堵したか言葉では言い表せません。到着した作業員の方は、私の憔悴した様子を見てすぐに作業に取り掛かってくれました。私の部屋の鍵は防犯性の高いディンプルキーだったため、解錠には特殊な工具が必要でした。暗闇の中でカチリという小さな音が響き、ドアが開いた瞬間の喜びは、人生で経験したどの成功よりも大きなものでした。家の中の暖かい空気が私を包み込んだとき、ようやく生きた心地がしました。作業費用は深夜料金を含めて決して安くはありませんでしたが、あのまま極寒の廊下で夜を明かしていたらどうなっていたかを考えれば、それは私の命を救うための対価だったと思えます。この出来事以来、私は鍵の紛失に対して異常なほど慎重になりました。鍵にはスマートフォンのアプリで場所が特定できる紛失防止タグを取り付け、カバンを変えても必ず鍵の存在を指差し確認するのが日課となりました。鍵がなくて家に入れないというあの絶望感は、二度と味わいたくない苦い記憶ですが、同時に、当たり前にある日常の脆さと、困った時に助けてくれるプロフェッショナルの存在の有り難さを教えてくれた、大切な経験でもあります。
真冬の夜に鍵を失くして絶望した体験記